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琉球で行った、薩摩式統治システム 『借金で奴隷になった琉球人』


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琉球で行った、薩摩式統治システム 『借金で奴隷になった琉球人』

★歴史から消された薩摩の琉球支配時代の記録!


★薩摩・島津藩が琉球統治時代行った「間接支配」方式は

島津の飼い犬になった、琉球人が同じ琉球人から収奪するシステムを構築しました。


★日本の奴隷制度は欧米型と異なり、支配者は直接手を汚さない方法で行う。

★薩摩は琉球で「人身売買制度」を巧みに使ったのです。


奄美大島で有名な債務奴隷『ヤンチュ』

沖縄本島では

イリチリ(入り切り)

宮古島の

ナグ(名子)

がありますが、残念ながら詳しい記録がありません。

YANCHU.jpg



北中城村(きたなかぐすくそん) 村史「新聞資料編より」 コラム

明治時代の尾類(遊女)と雇人

http://www.vill.kitanakagusuku.lg.jp/site/htdocs/kouho/200602/04.html


1883年当時の中頭地方各間切の身売人

(尾類と雇人)

間切名  尾 類・ 雇 人
    
北谷間切 不 明 不 明

読谷山間切 約112人 約140人

具志川間切 8人 42人

与那城間切 0 0

勝連間切 不 明 不 明

美里間切 14人 不 明

越来間切 約30人 約20人

中城間切 多 数 多 数

西原間切 約220人 約150人

宜野湾間切 約150人 約130人

浦添間切 約190人 約300人

※間切(まぎり)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%88%87


昔の沖縄で人身売買と言えば1950年代まであった糸満売り(イチマンウリ)

辻売り(チージウリ)が有名ですが、他にシカマ・イリチリと呼ばれるものも

ありました。


身売人の半数は「尾類」であった。右の表の「雇人」とは、次のやりとりを見ると、「シカマ」「イ

リチリー」と称されていた人々であったことがわかる。

 問「何歳頃ヨリ出ルヤ」(何歳頃 から他家の雇人として働きに出たか、という意味)

 答「先ツ十五歳位、牛馬ノ飼草ヲ刈取時分ヨリナル」

 問「一人ノ身代金ハ大概幾許ナル ヤ」

 答「弐拾円乃至三拾円ナリ」
 

当時は、貧しい農家の子どもらが、借金の利息のかわりに他家で働いていた。この時期には米一俵の

利息の代わりに、男子が月に一度ずつ、女子が二度ずつ、貸し主の家で働いていたという。利息のか

わりに、月に何日ずつときめて他家で働く人のことを「シカマ」と呼び、大金を借りて毎日他家で働

くひとを「イリチリー」と称していた。



マスコミが語らない沖縄のタブー3、「人身売買」

http://ameblo.jp/helios40-okinawa/entry-11039852684.html


薩摩藩が徳川幕府を倒した最大理由です!

http://ameblo.jp/helios40-okinawa/entry-11005506538.html


身売りのさまざま

http://gdgdwktk.blog.shinobi.jp/Entry/397/