【教科書が教えない歴史】 ヤクザを利用した軍部と国家権力

★60年安保では自民党の要請によって全国からヤクザがデモ鎮圧部隊として駆り出されたのだ。


【教科書が教えない歴史】 ヤクザを利用した軍部と国家権力

反米嫌日戦線「狼」(反共有理) 2009年10月23日
脱原発に右翼も左翼も無い。脱原発で共闘しようじゃないか。団結しなきゃ東電や経産省の思う壺だぁ!!
http://anarchist.seesaa.net/article/131014130.html


軍部とやくざの結びつきは日露戦争に始まる。この戦争では、伏見の16師団の要請を受けて、京都の砂子川一家の西村伊三郎が幹部、子分50名を引き連れて従軍、戦闘現場で軍夫として弾薬運びなどで活躍した。犠牲者も相当でたようである。軍部はその褒賞として西村の求めに応じ、陸軍の山形の印を代紋として使用することを許可した。これはおそらく前代未聞のことであろう。そのうえ馬の糧秣と寝藁を独占的に納入する権利を与えた。太平洋戦争でも日本が中国大陸や南方へ軍を展開するが、それは兵隊だけでなく、兵站輸送を担ったやくざの貢献も大きかったのである。

具体的な例をあげると、海軍の要請を受けて、長崎の宮久一家の宮崎久次郎が中国の上海郊外に上海飛行場を建設している。宮崎親分が傘下組員365人を引き連れて戦時下の上海に渡り、命がけで建設に従事したその経緯は、やくざの美談として「誉れの飛行場」と題する前後編SP盤4枚の浪曲になり、テイチクレコードから発表され、月刊『文芸春秋』でも取り上げられた。このレコードは海軍省提供となっている。

軍と深く結びあったやくざの中には、大陸では特務機関や慰問興行、慰安所の運営などにかかわる者もあった。
日本の軍国化が進むと、やくざと右翼の一体化も国家権力の肝いりで進められる。

その前例は、1919(大正8)年に、折からのロシア革命の伝播や米騒動などの社会不安に対抗する形で、時の内務大臣・床次竹二郎の呼びかけで結成された「大日本国粋会」である。これに加わった親分ややくざは公称60万人というが、おそらく名前だけ連ねている親分が圧倒的に多かったはずだ。当時、国粋会には内地だけでなく海外支部まで置かれ、たとえば、国粋会京城(現ソウル)総本部の設立をめぐって、現地でやくざ同士が本家争いのような抗争を繰り広げる始末だった。

(中略)
戦時体制が強化されるのに伴って、やくざの代紋を掲げる組も、表向きは正業の看板をもつ必要があった。愚連隊の神様万年東一の証言にこんな一節がある。戦争中は「無宿渡世」が許されないので、親分のほとんどが興行か土建業、どちらかの看板を出しており、土建業の場合は、お上から「おまえたち、何も仕事をしてないではないか」と言われると、「いや、いま仕事がないので、あったらください」と答えられるわけだ、というのである。
(猪野健治著「山口組概論」ちくま新書より)


戦後のことは書かなくても知っている人が多いだろう。
闇市での台湾人や中国人・朝鮮人による抗争騒ぎに、警察からの要請で治安維持を務めたのもヤクザであり、60年安保では自民党の要請によって全国からヤクザがデモ鎮圧部隊として駆り出されたのだ。

江戸時代の非人のように権力に利用されながら生きながらえてきたのがヤクザとも云えるだろう。


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